殺意を伴った正当な防衛はありうるか

「正当防衛」という言葉を使うといかにも法律上の言葉なので、ここでは「(法的にというより道徳的に)正当な防衛」という言葉を使うけど、仮に「正当な防衛」というのがありうるとして、防衛行動に殺意が伴った場合、その防衛は果たして「正当な防衛」たりうるのだろうか、正当な場合があるならどういう場合かという問題が気になっている。

相手を死に至らしめないと防衛できないのであれば、殺意があっても正当だと思うのだけど、そういう場合は滅多にないように思える。
例えば銃を持った人(以下、「犯人」と呼ぶ)が自分を(あるいは第三者の他人を)何がなんでも殺そうとしているが、自分も銃を持っているという場合を考えてみる。

その場合、犯人が銃を握っている手なり腕なりを(あるいは他方の手や腕も)撃つことができれば、犯人を死なせずに防衛できる。もし犯人の手なり腕なりを撃てる技術があるなら、基本的にはわざわざ心臓や脳を狙う(犯人を死に至らしめる)必要はない。
ただし、犯人が第三者の人を至近距離で狙っている場合は、その犯人の意識を一瞬で奪わなければ、薄れゆく意識の中でその第三者を殺そうと発砲する可能性が大いにある。そのような場合はあえて脳を狙う必要があるかもしれない(離れた距離にいる犯人の意識を一瞬で奪う方法が即死させるような方法以外に思いつかない)。だとすれば、その防衛は殺意を伴った正当な防衛ではないか。

いや、そのような場合でさえ、純粋な殺意を伴っているわけでは(必ずしも)ないように思える。というのも、そのような防衛において脳を狙って撃つことは、犯人の意識を奪うためにやむを得ず取る手段であって、その手段は犯人の死を伴うけれども、犯人の死そのものを目的とした手段ではないからである。

結局、「殺す」とは何だろう、という話になりそう。
誰かを死なせる行為をした人がその行為によって相手の死を目指していなければ、(例えば刑法で傷害致死と殺人が区別されているのと同じように)、相手を結果的に死なせることになっても殺したことにならないのではないか。そう考えれば、まずは「死なせる」と「殺す」を区別しなければならないだろう。
「殺意」にしても、相手の死をもたらすとわかっている行為を意図的にするなら、その意図・意志を「殺意」と呼んでもよいだろうけど、先述の例のように相手の死をもたらす手段をやむを得ず取る場合は、狭義の殺意にはあたらないのではないか。

このように考えれば、狭義の殺意を伴った防衛は「正当な防衛」ではないと言えそうである。いろいろ考えが足りていないところもあるだろうから、暫定的な結論ではあるが。