読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

望みを絶つということ

失望する人はえらそうだけど、絶望する人はえらそうじゃない。望みを絶つと書いて絶望だったら積極的で能動的だけど、やっぱりそうじゃなくて望みが絶たれると書いて絶望なんだろうか。絶たれる望みもなかったら絶望しなくて済むだろうか。それともすでにしてるのか。

でも絶望がつらいものだとしたら、やっぱりまだ望んでいると思う。望んでいて、しかしその望みは実現しないと信じているのが絶望。望んでいなかったら、絶望することもない。そういう意味では、望みが無くても生きられるんじゃないか。普段の生活は割と望みが無い状態をメインにしている気がするし。

望みを絶つというのは普段の生活に戻るということなのではないか。いわゆる絶望とは違うけど。そういえば宮部みゆきの『模倣犯』をドラマ化したやつで、被害者遺族の登場人物が言うのが、奪われた日常生活に戻ってそれを続けていくのが犯人に対する戦い、みたいなことを言っていた気がする。正確な表現は覚えていないけど。行方不明だった家族が殺されていたとわかったときに、帰ってくるかもしれないという望みはいずれ絶たないといけない。どんなにつらくても、日常生活にはいつか戻らないといけない。そんな話だったかどうだったか。

日常ってなんだろう。「いつもの」とは。戦場にも日常はあるのだろうか。日常と非日常の区別を自分はあまり意識していない方だけど(だって日々いろいろ違うし)、ここは戦場じゃないだけやっぱり非日常ではないのかもしれない。おまえの望みは何だ。