結婚のめでたさ

昨日、友人の結婚式に出席してきました*1。今まで何回か結婚式に出たけど、やはり結婚式というのはいいものだなあと思う。人生がこのうえなく肯定されている感じがする。「めでたい」というやつだと思う。

二人のこれまでを振り返るムービーとか、両親からの手紙・挨拶とか、そういうのを見聞きしていると、新郎新婦がこの世に生まれてきたのも、新郎新婦のそれぞれのご両親がかつて新郎新婦になった(結婚した)ということによるのだなあと改めて気づいて、人の歴史は「めでたい」ことの連続だと思った。

「めでたい」と言えば、人の誕生も「めでたい」とされる。「誕生日おめでとう」という。誕生日が「めでたい」のは、そもそも誕生が「めでたい」からだろう。結婚して、子どもが産まれて、結婚して、子どもが産まれて、という連続は「めでたい」なあと。

いや、本当に結婚や誕生が「めでたい」かどうかはわからない。見方によっては、結婚生活は、それ以前に単に生きていくのは、苦しいことやつらいことの連続だとも言えるからだ。特に誕生は、生まれてこなければ味わいようのない(であろう)苦しみやつらさを味わうことになるわけだから*2
結婚生活に限定して考えても、(仲がよいであろうとはいえ)異なる家庭に育った異なる性格の二人が一緒に生活するのだから、うまくいかないところ、不満や不自由も出てくるかもしれない。実際、離婚している人もそれなりにいるわけだし。

しかし、だからこそ人は誕生や結婚を祝おうとするんじゃないか。あるいは誕生や結婚に限らないかもしれない。卒業とか成人とか就職とか、そういうのも含めて、「めでたい」から祝うのではなく、「めでたい」ことにするために祝う。意志をもって肯定する。「おめでとう」の言葉にはそんな意味合いがあるのではないか。

というわけで、結婚おめでとう。

*1:出席した別の友人もその日の朝に入籍したという、なんとも「めでたい」日であった。

*2:もちろん、楽しみや喜びも味わいうるのだけど、苦しみやつらさの方が味わいやすいかもしれない。健康面とか金銭的な充実の度合いとか性格とかにもよると思われるが。