渡瀬恒彦が亡くなって

自分にとって渡瀬恒彦は、まずなによりも『タクシードライバーの推理日誌』の夜明日出夫で、あるいは『9係』とか『おみやさん』とか、とにかくテレビドラマの俳優で、気づけば事件もののドラマ(テレ朝が多い)に出ている、よく見慣れた俳優だった。特別思い入れがあるわけではなかったけれど、こうして亡くなられると、他の芸能人の訃報を聞いたときよりもなんだか寂しいし、その一方でまだ実感がわかなくて、もうテレビで見られないという感じが全然しない。

この土日にアガサ・クリスティ原作の『そして誰もいなくなった』のドラマが二夜連続で放送されていてそれを見たのだけど、それに渡瀬恒彦が出ていた。たしか昨年の12月から今年の2月にかけて撮影した作品らしく、これが渡瀬恒彦の遺作となったとのこと。

渡瀬恒彦は重い病気であることがわかっていたから、本人はこれが遺作になるかななんてある程度予想がついたかもしれないと思うのだけど(もちろんもっと出たい、遺作にしてなるものかと思っていたかもしれないが)、俳優という職業一般を考えると、死というものは突然やってくることもあるから、急に「この作品が遺作となりました」ということにもなりうる。どの作品が自分の遺作になるかはわからない。今携わっている作品が遺作になるかもしれない。このことは、俳優だけでなく、創作するような仕事に就いた人みんなに当てはまるだろう。

「遺作」というのに拘らずにもっと広く考えれば、あらゆる人に何かしら当てはまると言ってもいいかもしれない。自分だったらこの記事が最後の記事になるかもしれないし、さっき喋ったあの言葉が最後の言葉になるかもしれないし、昨夜食べた料理が最後に食べた料理になるかもしれない。
まあ食事とか日常会話で喋ったこととかは何が最後になろうとしょうがないけれど、ブログの記事とかFacebookの比較的長文の投稿とかは、「遺書」というと別の意味に聞こえるけど、広い意味でのそういう文章になりうるのだから、真剣に書かないといけないなあと突如思ってこの記事を書きました。遺書を書くくらいのつもりで。

いやまあ別にいつもいつも真剣に書かなくてもちろんいいし、何が最後になったってよいといえばよいのだけど、なぜか今日はふとそう思ったというだけの話です。ふざけたくだらないことだって書きたいし真剣なことばかり書いてもねえと思いつつ。