「物語」について

久々に投稿。

哲学カフェに行ってきました。テーマは「物語」と聞いて、いわゆるフィクションとしての物語と、それより広い意味でのストーリー一般としての物語と、いろいろあるなあと思っていたところ。

物語と説明の違いの話になってそこは面白かった。自分と違う意見が出てそこは積極的に反論していった。「説明」観がかなり違ったのでびっくりした。
最終的には、物語ではあるが説明ではないもの(小説等のフィクションとしての物語とか*1)、物語でありかつ説明であるもの(就活の面接での志望動機等の説明とか)、物語ではないが説明ではあるもの(取扱説明書に書かれる製品の使い方の説明とか)の3パターンがあるかなと思った。

よい物語とわるい物語の違いの話にもなったけど、そこはよくわからなかった。ある物語をどういう観点でよい・わるいと見なすのかによって、いろいろなよさ・わるさがあるだろうし、そこは整理して考えないといけない気がする(物語の面白さ・つまらなさ、物語のもつ効力が道徳的によい・わるい、等々)。

ちなみに、よい説明とわるい説明は、説明の上手さ・下手さの違いに尽きるのではないかと思う。説明というのは、何かについて理解してもらうためにそれを詳らかにして伝えることだと思う(哲学カフェで話したときと僅かに考えが変わっているかも)ので、その何かの理解に必要な情報を、(話の順番・構成等々)理解しやすいかたちで伝えるのが、上手な、よい説明だと思う。下手な説明は、その説明が理解しにくいので、まったく同じことについての説明をもう一度求めることになりかねないけど、上手な説明だとそういうことにはなりえない。

あとは歴史修正主義の問題を念頭に置きながら、フィクション(架空の物語、出鱈目な歴史語りも含む)とノンフィクション(現実についての物語)と現実の違いについて問題提起をしたりもした。

他の人からは、(問いの字面を正確には覚えていないけど)なぜ人は物語を必要とするのか、欲するのかみたいな問いが出てそれも面白かった。自分がニーチェをやっているからか(あんまり関係ない気もするけど)、生存に意味を欲するからじゃないかなあなんて思ったりした。これは話さなかったけど。物語は意味付けだみたいな話は出ていたから、この路線で話しても面白かったと思う。

自分の人生に物語感が全然無いので、今後どうやって生きていけばいいか全然わからない。みんな何のために、この世の何を価値にして生きているのか。あの世なるものにもリアリティを感じないし(そもそもそういう超越的なものについて積極的に語りたくないというのもある)。
「何のために」ということを忘れることでしか生きていけない、その日暮らしの根無し草感が自分にはあって、時々寂しかったり苦しかったりする。

*1:小説の文章の中に何かの説明が含まれることはあるだろうけど、小説全体が何かについて説明しているわけではない。